にしきごいと金平糖

ゆるーくばれないように

にんじんごぼうれんこん

 

 

「友達」とは、なにか。

高1か高2かわすれたけど(たぶん高2)、その時に自分の中でみつけた答えはこう。

いま、自分が友達だと思ってるのは友達ではない。友達候補だ。友達とは、5年後10年後会ったときに、昨日のように話せる人である。であるから、いま、所属してる集団からつぎの集団に移動して 友達かどうかわかる。 みたいな。

 

といったら、否定されたこともあったけど今まで結構納得してきた。

んで、友達ってなんだろうと思う。受験まで29日の高3の冬。イン、コメダ珈琲店

「今日から友達だね」とか「友達になってくれますか」というのに、ものすごく違和感を感じる。気づいたら仲良くなって、意識をせずとも話してるわけだから 「友達を作る」というのは、なんなんだろう。見知らぬ他人→「友達」になるために作業かなにかあるのか。というか、その「友達」は私にとって友達ではないように思える。たぶん、「友達」は知り合いだろう。私の友達の基準は、見知らぬ他人→顔見知り→知り合い→仲のいい人→友達なんだろうなあ。だから、「友達(と言われてるもの)」に友達というのに抵抗があるのだと思う。

まあ、何が言いたいって私には友達は多くはないってこと。だけど、その人たちは私に多くのものを与えてくるし、私も与えてると思いたい。

だからこそ、私は友達を大切にしたいし、そういう友達とは何年後あってもすぐに「あの頃と変わらない」空間を作れるんだろうなあと思う。

 

こんなものをみつけた!

受験生の12月から1月までのたった2ヶ月だけど、スマホで日記のようなものを書いてて量はないけど、読み返したら結構面白いものが多い。これはそのひとつ。

受験の内容が多いと思っていたら、意外や意外、「違和感」についてが多くて、いい。年を重ねるたびにそういう「違和感」にしょうがないの蓋をして、なかったことのようにするのが「大人」なんじゃないかと最近思う。とても違和感。かといって、それを否定できない。友達とお話をしないで勉強するのも「しょうがない」。だって、いい大学にはいるためだから。髪の毛を黒くしてリクルートスーツ着て台本を読み上げるのも「しょうがない」。だって、就職しないといけないから。音楽活動をやめて満員電車に揺られて毎日を過ごすのも「しょうがない」。だって、生活するにはお金が必要だから。

すべてを「しょうがない」で済ませたらシアワセに違いない。

そんなことを書いていた気がすると思って探してみた。

 

「しょうがない」で思考停止

なんとかしようとしない

なんかなあ 

20160125

 

たった3行にドキッと。

考えることをやめたら、にんげんじゃない。きっと。

従順すぎるのは罪。