毛糸
ことばがまとまらない。書きたいことはたくさんあるのに。
写真を撮るのがあまり好きではなくて、ずっと記憶に頼ってばかりなんですねえ。あのときの遊園地も、お茶会も、映画館も、「そういえばあんなことあったなあ」ってときどき思い出す。基本的に記憶力がいい(らしい)せいか、そのときの場面がきれいに浮き上がってくる。バラエティーの再現VTRみたいに。でも、やっぱり限界があって、歳を重ねるほど忘れたくないものが増えちゃって、さみしい。かといって、写真は嫌いなだから、文字に興すしかない、らしい。
とはいっても、頭の中のぐるぐるを文字化するのには時間がかかる。
言語はむつかしい。ことばで置き換えないと相手に伝わらないなんて。
いっそのこと、電波で交信しようよ、もう。
惚れた腫れた火傷した
価値観の違いっていうものはとても、大きい。例えば、甘い=美味いという人と、苦い=美味いという人がいたら、きっと共同生活は厳しい。各々で用意すればいいわけだが、手間も時間もかかってしまう。そうなると、結婚っていうのも難しいわけで。
価値観の違いを理解せず、「好き」だけで結婚するから溝が生まれるんじゃないかなあ。その点、お見合いはいい。恋をする前に価値観を知れるから。
「好き」→「価値観を知る」より、「価値観を知る」→「好き」の方が相手にがっかりするというか、嫌いにならなくて済む。と理屈でいっても、「好きになるときは好きになっちゃうの!」なんていわれたらどうしようもないが。
きっと私は、「好き」から始めたら「価値観」を知った時にダメになってしまうことの方が多い。私の価値観を理解できる人や同じ人は滅多には存在しない気がする。だから、どうしても終わりを前提でしかお付き合いできない。どうやったら、お互いが傷つかなくて済むのか、どうすれば納得できる形で終われるのか、と。答えもなければ、惚れた腫れたの話もないので、まあ、ゆっくり考えます。もしかしたら、答えなんちゅうものはなくて、傷つくしかないのかもしれないけど、考えます。
世の中のカッポーはどうなっているんだろう。全くわからない。
ひらて
私はお金を使わない。
使わない、というと語弊がある。が、生活必需品(食材とかテッシュとか)以外は基本的にお金は使わない。
働いてない割にはお金は(なぜか)あるのに、特に何も買わない。つまり、欲しいものがないわけで。そりゃ、新しいお洋服は欲しいとは思うけど、別に今じゃなくていいや〜なんて思う。そんな風に思うものだから、半年過ぎた、なんてよくある。去年なんて、1年間洋服を買わなかった気がする。マフラーは買ったけど。(どうやって生きていたのだろう)
それでも特に困るようなことはなかった、はず。
だいたい服なんてたくさん買ってどうするのだろう。そんなに買っては部屋が服だらけになるじゃないか。何年も着れるようなものを選べば、別に毎年買う必要なんてない。こんな奴がいるからアパレル業界は困っちゃうわけで。毎年毎年よくわかんない流行を作るわけで。
今日なんて、ひっさしぶりに服を買いに出かけたらレースのぶりぶりしたのがたくさんあった。今年の流行りらしい。試しに着てみたら、面白いくらい似合ってなくて、笑ってしまった。
店を出て、渋谷を歩いてみると、結構な人がぶりぶりしてた。
どうも流行にばかりこだわる人を見ると、業界の手のひらの上で転がされているようにしか見えない。相変わらず、捻くれた見方をするなあと我ながら思うけど、世の中気づいてないだけでみんなお上の手のひらに転がされてるだけなんだよねー。そういう自分も転がされている1人なわけで。なんかむなしいね。
きんぎょばち
「いい」人が好きです。
とっても、やさしい人。
とってもやさしい人は大概目の奥が暗い。
でも、キラキラ光ってる。
そんな人が好きです。
SHIT
嫉妬っていうものは怖いですね。
最近2人くらいから惚気なのか相談なのかわかりませんけど話を聞かされます。嫉妬は怖い。嫉妬ないし束縛したい気持ちは確かにわかりますけども、肯定的には捉えられないものです。少なくともわたしは。
仮に、とあるカップルがいて、とある人が「○○ちゃんに会わないで!」「女の子と話さないで!」なんて言ったとします。そのとある人は、彼氏(彼女)さんが○○ちゃんや他の女の子から得られるはずの幸福感や満足感やらを代わりに提供できるんですかね。嫉妬しちゃう人の大概は、無理だと思うんです。だいたい、他の女の子から得られるものがたった1人に備わっていれば、その人だけで済むわけだから他に行く必要はないのではないでしょうか。女の子をたくさん侍らせたい願望の人は違うかもしれませんけど。けど、嫉妬しちゃうのはしょうがない。世の中には素晴らしい人ばっかりなんだから。かといって、自分の不足分を相手に我慢させるのは如何なものでしょう。それって、すごく自己中心的。だから、嫉妬して束縛する前に、自分を磨けば良いと思います。キラキラして、捕まえてないと取られちゃうぞ〜の勢いといいますか、自信をつければ良いと思います。
そうすれば、彼氏(彼女)さんも他の人に構うよりも、相手との時間を過ごしたいってなるのではないでしょうか。
はいいろ
思考をしなければ馬鹿になる。
暗記から得られるなにかは確かにあるのだろうが、暗記至上主義はそろそろ終わってもいいんじゃないだろうか。理解していればいい、というスタンスでいったら受験に失敗しましたけども、それは間違ってないと胸を張って言いたい。言えるようになりたい。
そのためには、一度暗記至上主義に飲み込まれなければいけない。一度、理解を示さないと、ただの批判だったり、負け犬の遠吠えになってしまうから。
浪人やめてやろうか、と昨日の夜から今日の昼にかけて考えた。逃げ出したくなった。逃げたっていいじゃないか。どう転んだって最期は良いように解釈できる、と。でも、やっぱり、いやだ。この逃亡癖をどうにかしないといけない。こいつが出てくるたびに、なにかを失うのはいい加減止めにしたい。そう頭では理解しているのに、それでもやめたくなる。同時に、それを許せない自分がいる。アンビバレント。
板ばさみになって、情けなくなって、貝になりたい。
そんなしょうもないことを考えてたら、1日1日が刻々と過ぎていった。そして、今日はもう、4月の26日。
いっそ、車に轢かれそうな子どもを身を挺して守って轢かれたい、なんて考えても考えてもそんな漫画のようなことはなくて。
今日ものうのうと時間を過ごした。
秋が遠い
自分の好きなモノや文章や性格をすべて食べてしまいたい。
食べるのは遅いほうだからゆっくりゆっくりもぐもぐする。
もぐもぐ味わって味わって味わって、吸収したい。
世の中は食べたくなるようなものが多くて食べることがついていけない。
最近おいしそうなものをみつけた。
とってもおいしそうなのに、食べ方が難しくて食べれない。
殻が硬いから煮てみたり、焼いてみる。
そしたら、一番厚い殻はとれた。
でも今度は皮が渋くて食べれない。
それならお砂糖で煮込んでみる。
ぐつぐつぐつぐつ煮込んでみる。
それでも皮は渋かった。
ほんとうにおいしいものは手間がかかるらしい。
時間をかけただけ、思いを込めただけ、おいしいらしい。
甘栗はだからおいしいのだ。きっと。